幼少期からの苦しみや
劣等感がものすごく強い人というのは

現実の苦しみから逃れる手段として
自分に都合の悪いことは
完全に見えない、聞こえない、という現象が起き

私はすごい、という
自己陶酔型の逃避に走ることが多いです

こんばんは
Bright Moon 松崎有里です

そのため
客観性に著しい欠損が生じている
人間になってしまいます

客観性を欠くということが
どのような恐ろしさを招くかというと

例えば、親の自分は
子供に親の威厳を見せることができている
尊敬されている
愛されている
くらいに思い込んでいたけれど…

実は、思いっきり憎まれていた
なんてことになりかねません

それが顕著に見えてくるのが
親の自分が、いざ介護状態になった時です

その瞬間、パワーバランスが逆転し
昔、親にやられたことを
子供が返してくるといいますから

虐待した親は、子供から虐待される
子供をイライラの吐口にしてきた親は
イライラをぶつけ返されてしまう
ネグレクト気味だった親は
子から見放される、という

介護や弱ってきた時を期に
親子の逆転が起きてしまいます

そうなった時に初めて
自分はこんなにも
子供から憎まれていたのだ、と
絶望におちいるのです

しかし、それすらも持ち前の逃避で
都合良く解釈してしまいます

客観性の欠損というのは
それほど

○ 相手のことが見えていない
○ 自分の行動に対しても
 私が悪いなんてこれっぽっちも思っていない
○ 自分自身に対しての評価が相当甘い
○ 他者の能力を見抜けないので
付き合う人間関係も変な人を選ぶ

ということが起きます

私が学生の頃の話ですが
クラスで特定の誰かの悪口を
大声で言いまくっていた女子がいまして

本人は、きっと
私はこの場を支配しているすごい人間なんだ、と
思い込んでいたのでしょうけれど

大声で周りを威圧していて
ただの下品なヤンキーだわ…
悪口を言いまくっているその姿を
誰がカッコいいと思うんだ?

…という
私みたいな感想を持つ人間もいるんですよね

自分の姿がいかにおかしな人間として
他者の目に写っているのか
客観的に見ることができていない
良い例の人だな、と感じます

当時、心底カッコいい
これこそリーダーだよな、と思った女子は
人に対して優しくて、自分に自信があって
凛としていた子ですものね

自己評価と他者から見られている姿の
ギャップがすごい人、というのがいるので

なるべく、自分の姿を
客観的に見られるよう努力した方が
恥ずかしい思いをしなくてすむ気がします