自分で駄目だと思っていたものって
本当に駄目なものかしら?
こんばんは
Bright Moon 松崎有里です
私はね、一つの物事を理解する際
最初の一回の説明で
全然、理解出来ない子だったんです
何度も、何度も
どういう意味ですか? と尋ね
理解するまで時間が掛る不器用さは、人一倍
その代り
コツを掴み、心底理解してしまえば
誰よりも駆け抜けて
気が付くと、人を追い越している
こういうパターンで
これまで様々な場面において、やって来ました
こういう風に
私は生まれてしまったものだから
何が分かっていないか
それすら分からない人の気持ちが
よく分かるのです
最初から理解して、器用に出来てしまう人っていますよね
そういう人に教わると
必ずその人は
言葉が足りないんです
どうやれば
あなたのように出来るのか
あなたのように出来ないから
そのやり方を知りたいと思っているのに
すぐに何でも出来てしまう人は
順を追って、事細かく説明が出来ない
自分がいち早く出来る分
相手が何に困惑しているか察知出来ず
最初の段階で、始めて携わる人用の言葉ではなく
出来ている前提の人用の言葉を用いている
ちょっと単語を変えてくれれば
分かりやすいものを
分かりやすく伝えようという事が、欠けて聞こえてしまう
だからね、私は
不器用で良かったのかも
そう思いました
小さな事柄でも丁寧に
たくさんの視点を用いて説明しようと
心掛けるようになりましたし
絶対に理解したいという気持ちがあったからこそ
様々な方向性から観察して気付く、という癖を
身に付けさせてもらえたように思います

こういう風に生まれて来たのには
全部意味があって
出来なかったこと
自分は持っていない物
悔しい思いをしたこと
バカにされて来たこと
それは、後々
自分の力で覆すため
欲しいと思ったものを手に入れるために、努力する
もう、あんなに悔しい思いをしたくないから、と
自分から最大限のパワーが引き出されるから
強くなる
バカにされてきた思いを知っているから
情熱で人生を切り開こうとする
人を傷付けなくなる
出来ないことが出来るようになった時
自分で覆した時
それが自分だけにしかない才能となる
だから
出来ないこと
持っていないものは
全部
神様からのギフトだと
私は思います


