私は
やりたい事があるのに、それで食べて行く事は難しい…と感じながら
生活の為にやりたくもない仕事をして生きている
といった人生を、31歳までしてきてしまいました
おっきな夢があって
その事については、誰よりも努力したと言えるくらい努力したのに…
けれど、深層心理の深ーいところで
・プロとしてお金を稼ぐまで時間が掛り過ぎる
・達成するまで、死ぬほどの努力が必要なのではないか
・そもそも、これで食っていけるのか?
といった夢を妨げる感情があったものですから
今、セラピスト、カウンセラーになってみて
当時の夢が叶うには、そりゃ遠い道のりだよ
だって、そもそも 「食っていけるのか?」 という感情があるのだから、そりゃ叶わないよね
と、腹の底から実感しております
あんなに馬鹿みたいに、努力と言う名で自分を追い込んだのにね…
けれど、それより問題だったのは
「やりたくもない仕事をして生きている」
こっちの方が大問題だった訳ですね
やりたくもない仕事をして生きている人間の方が、世の中にはたくさんいるよ!
と、思っている人の方が、世の大半でしょうね
この世の中には 「常識」 と名のついた意識が流れております
それは、
・高学歴を目指し、勉強しなくてはならない
・一流企業に就職出来た方が、良いに決まっている
・友達が多い人は人気者
・起業して成功するのが素晴らしい
・高収入の人と結婚したら、安定した結婚生活が手に入る
などなど・・・
私は常々
この 「常識」 といった言葉は
各々を苦しめるルールだなと感じてしまうのです
このルールがあるからこそ
自分は周りと違ってダメなやつだ…と勘違いしてしまうし
やりたくもない仕事をしながら生きている奴の方が大半だ!
という事になってしまうのです
1億2千万人分のオリジナリティーがあるのですから
この常識に沿えない人だって、そりゃ何千万人ていらっしゃるはずなんですよ
・周りに人が集まってくる友人を見て、自分もこうでなくちゃ
一人でいると、暗い奴に見られてしまう
けれど、本来の自分は、何でも一人の方が好きなのに
集団でいるのが、病気になるまでストレスになっている事に気が付かない
・良い大学を出れば就職にも有利だ
だけど、いざ就職してみたら出世競争の日々で自分を見失い
ついには、うつになってしまう
・高学歴、高収入で安定している彼だと思ったからこそ結婚したが
いざ結婚してみても気持ちがすれ違い、コミュニケーションが取れない
イライラして子供にあたってしまう
常識という名のルールに沿った幸福を手に入れた
一見幸せそうな人の裏側というやつですね
ですから
その幸福いう名の付いている、一見幸せそうな行為は
本当にあなたに合っているのですか?
という問いです
自分に必要な幸せとは何だろう?
世の中に合わせてはいるけれど、自分の本質はもっと違うはずなのに…
などと日々感じながら
どんどん自分を追い込んでいる事に気が付かない人が多いのでしょう
私はですね
31歳から常識を捨てました
今は完全自由業で、何物にも縛られないという利得が付いてきましたが
代りに、自分自身に対する責任も増えました
今はこういう人生になりましたが
これまでの人生で植え込まれてしまった、常識という名のルールが
時折、私の頭の片隅でうずく時があります
世の中のルールに沿っていない私でいいのだろうか?
何事も苦労しないと得られない
お仕事は、楽しいという感情でやってはいけないのでは?
ってね
邪魔な感情ですね
ええ、非常に邪魔です!
お仕事は、楽しくやりながらお金を頂いてもいい!
私は常々これを思いながら、思考を書き換えております
一旦プログラミングされてしまったものを書き換えるって、容易じゃないですが
常々口にし、そうなったつもりで行動しております
すると、楽しくお仕事してもいい、といった現実が
目の前で証拠として集まり出します
私にとって、生きている上で非常に苦痛なのは
生活の為とはいえ、好きでもない事を仕事にしている事なのです
それをする位なら
貧乏でも好きな事をしていた方が幸せだという事ですね
お金はあっても、苦労して、苦しみながらやっていたあの頃に戻りたいとは思いません
これが、私の選び取った幸福なのです
今の方がより本来の自分らしいのです
徐々に選び取った幸福の中身も充実し出したので
楽しみながらお仕事をしてもいい! というのを身を持って立証しようとしているのでしょうね


