一生懸命話して、説明していたのに
ほとんど聞き流されていたせいで、全然違う感じで話をとらえられていたってこと
コミュニケーション上であると思うのですよ

いや
うちの母がね、今でもその傾向が強くて

私のインナーチャイルドが
「私、順を追って、前に説明していたよね?
私はきちんと言ったでしょ! なんでそう都合の良い風に解釈しているのよっ」 
ってな感じでへそを曲げているのです

母がそういう気質の人だからかもしれませんが
それと似たような人を引き寄せている気もしますし
はたまた
私の勝手なフィルターで、相手をそのように見てしまっているのか…

また一つ、自分の課題がこうして浮き彫りになって来ました

いくら言葉を使っても伝わらないコミュニケーションの難しさと
母はそういう人なんだという思い込みの壁、ですよね

人間は生まれ出た瞬間からちょっとの期間は
100%与えられる側を経験してしまっているじゃないですか

ミルク、おむつ、眠い、抱っこして、と
赤ちゃんは、泣けば全てが与えられるものだ
というところからスタートしてしまった

正確に言うと、そういう感覚じゃなかった人も、中にはおりますよ
泣いて表現しても、お母さんはそばにやって来てくれなかったという
0歳の頃の記憶が細胞に刻まれていらっしゃる人もいます

けれど、ほとんどの人が
出だしで100%与えられる、というところから始まっている中で
歳と共に、だんだん自分の欲求が叶えられなくなっていく世界を体験して行く

赤ちゃんの頃は何でもやってくれたのに
言葉が通じるようになってからは、どうして私が泣いても
「今、手が離せないから、待っていなさい」 ってなるの? と

100%からパーセンテージがどんどん減っていく世界の中で
飢餓感や欠乏感は生まれやすくなり

ひょっとしたら
「本当に欲しいものは、手に入れる事が難しい」 といった感情というのは
この期間で培われてしまうのかもしれませんね

けれども、私たちはいくつになろうが
大事な人に対して
生まれたての頃のような、100%の愛情をいつまでも求めてしまうもの

でも、考えてみたら、感情をぶつける事が出来る環境がある事自体
幸せな話ではありますよね

私には母という
喧嘩をして思いをぶつけたり、受け止めてくれたりする相手がいるんですもの

そういう相手がいてくれる事自体が
究極の幸せだったりしますよね