以前、友達にですね

「私、小さい頃
教育テレビがすごい好きで
大人になった今でも
夢のある、あの感じが好きなんだー!」

と、言ったんですね

こんばんは
Bright Moon 松崎有里です

「おかあさんと一緒」 とか
あの時間帯にやっている
子供向けの番組の数々が
今でも、ひじょーに好きなんですよ(笑)

私には、ファンタジー
癒しにしか見えないわけです

そういうつもりで
友人に言ったのですが

「なに?!
それって、今
私には夢がないって
馬鹿にされたのかと思った」

おっと…?!
…………

いやいや
どうしたら、そういう解釈になるのか…

私は、ワクワクしながら話していたものが
この瞬間
一気にシュンとしてしまいましたよ

この友人は
数々の過去の体験の中でも
「馬鹿にされている」 ことに
過剰に反応していた
人生だったのでしょう

だから
こんなに極端な解釈になるわけです

コミュニケーションて
このような行き違いだらけなので
本当、難しいんですよねー

昔、とある場で
相談された時にですね

「よく、頑張ってきましたね」 という言葉を
何気なく言ったんですよ

そうしたらですね
その人は
「可哀想な私って見られた!」
と、思ったんでしょうね

「私、可哀想じゃないし」 と
勝手に勘違いし
イライラされてしまったんですよね

こういう風に
相手から言われてしまうと
難しいです

私は、「可哀想ですね」とは
一言も言っていないわけですが

「可哀想な私」 という認識が
この人の中で、凝り固まっていたので
何を言ったって
そう取られてしまうわけです

「寂しかったんでしょうね」 とか
「辛かったですね」 とか
そういう決め付けをしたわけでも
ありませんし

「ツライ中
反骨精神でやってこられたんでしょうね!
素晴らしい!」 

とでも言おうものなら
それはそれで
不快な思いをされるでしょうしね

じゃあ、何て声をかければ
あなたは納得したんでしょうか?

こういう風になってしまうわけです

この人に何を言っても
「可哀想な私」 は発動するわけで
それは、極端な解釈の仕方と言えます

だからね
結局、相手から言われたことで
あなたが、何を思ったのかは

相手のせいじゃ
なかったりするんですよね

相手の当たり障りない言葉ですら
過剰に反応しているんですから

そうなると
当事者自身の問題なんですよね

私が何を言ったって
怒っている人は
ずっと怒っていますしね

しかも、私の言った思惑とは
全然、違う風に解釈されてしまい
怒り続けているわけですから

そういう人は、もう
ずっと怒らせておけ、と

最近、諦めて
火の粉が降ってこないような距離を
考えるようになりました

私の言葉をどう解釈するかなんて
その人それぞれの
心の傷に基づいているもので

教育テレビの話だけで
あんなに
曲がった意味合いで
捉えられてしまうのですから

このように、コミュニケーションて
自分の思い込みの中で
話が進んでいるわけですね

逆も言えますよね
私も、相手の言葉を
独自に解釈しているわけですから

私が相手の言動で感じ取ったものは
私の心の傷なんですよね

だから、私は
相手が悪いんじゃないんだよな
私の中に、解決しなければならない感情が
あるってことだよなー

日々、このように考えています

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傷付いた感情を持ったままだと
これらの事例のような
極端思考は止まりません

そうすると、母と子の関係や
夫婦の間柄でも
当然ながら、行き違いが起こって

関係が悪化してしまうことも
否めませんから

抱えたままの傷は
早めに処置した方が、良いでしょうね