若いころの私は
言いたいことを、包み隠さず
思いっきり、言ってきてしまったんですよねー
こんばんは
Bright Moon 松崎有里です
幸い、妙な裏表がなかったことを
友達たちは、見抜いてくれていたので
私から離れずにいてくれたのですが
自分自身のことは
人を言葉で傷付ける、優しくできない女だと
見ていたんですね
そんな自分が大嫌いだったので
心の改善と共に
・ポジティブな言葉が出せるように
・人を減点法で見るのではなく
加点法で見れるように
・こき下すことをやめる
これらを習慣付けていったら
いつの間にか
生きる上での癖にまでなっていきました
とにかく、良い人になりたかったんですよね
しかし、そんな私を
大学の友達らは
「あんたは、気を使うようになった
壁を感じる
ワガママなあんたのことを知ってるんだから
もっと、何でも言っていい、甘えてこい」
と、言うのです
人は同じ波長の人を呼び寄せます
その人を通じて、自分の中にある
克服しなければならないものを知ります
私たちは、言わずもがな
「気を使う」 「甘えられない」 を
テーマに持つ間柄、ということです
しかし、私の中で
気を使って話せるようになったことは
友が言うほど、マイナスな価値観ではなく
むしろ、ポジティブなものなのです
・人に元気を与える言葉が出せるようになった
・相手を肯定的に受け止められるようになった
・優しい人になれた
昔は出来なかったことが
出来るようになった証としての
価値観だったのですが
私が「気を使う」 姿を見せると
友達たちの心の中で
それぞれが押し込めてきた、負の思いが
どうも発動するようです
・良い言葉ばかり言って、偽善じゃないのか
・気を使って、本音を言えないのは
人の顔色をうかがっているだけだ
・自由ではない
友達たちは、結局
気を使うことが嫌だと思いつつも
気を使うことに縛られている人たち
ということです
やはり、反動なのか
彼らの生き方は、自由でいられる方向を
目指していますが
とにかく、私の中では
「気を使う」 ではなく
「相手に気遣いを持って、ふるまえるようになった」
「甘えられない」 ではなく
「人に頼らなくてすむよう、自立の精神を築いてきた」
という、嫌いな自分を覆してきた
自信につながっていたので
友達たちと、確かに同じテーマを持ちますが
その中身は、まったく異なります
気を使うようになった
自分自身を振り返ってみた瞬間
これは、好きな自分なので
自分にイライラすることもありません
友達の、私を見て浮かんできている思いは
彼らの中に押し込めて
見ないようにしている
シャドーです
結局、彼らは
私の態度を通じ
自分自身に蓄積されているものに対して
イライラしているわけです
彼らは、気を使う自分自身を
好きにはなれないのでしょう
このようにして、自分自身が
心の奥に押し込めてきてしまったものを
知るのです


