自分の居場所とは?

こんばんは
Bright Moon 松崎有里です

先日
「子どもと心の通う親、なぜかスレ違う親」
という本を読んでいたのですが

その中で、筆者の加藤さんは
母親のことを 「母なるもの」 と呼んでいたのが印象的でした

母親という存在だが
この人のことがよく分からない
でも、この人は母親の役割を持った人ではある

だから
「母なるもの」 なんでしょうね

おそらく、加藤さんは
「母なるもの」 から、温かい感情を感じることが
難しかったのかもしれません

「いってらっっしゃい。気を付けてね」
「おかえりなさい。おやつあるよ」
「今日、学校で何があった?」
「そんなことが出来たの。すごいね」
「夕飯、なにが食べたい?」
「おいしいね。もう少し食べてみる?」

こういった母親からの言葉がけは
一見、普通に感じるでしょうが

きちんと子供の気持ち、意向を聞いていますよね

すると、子供は
自分の居場所が、家の中にあると
感じることが出来るのです

自分という存在が
この場に居てもいいんだ、という
絶対的な安心感を得られます

けれども
「母なるもの」 からは
それが感じられないのでしょう

「母なるもの」 からは
子供の意向ではなく
私の都合に合わせなさい、という
無言のプレッシャーが掛けられるのでしょうから

「ずいぶん食べるわね」 という、この一言

母親から言われるのと
母なるものから言われるのとでは
意味合いが全く違うことに、気が付きますね

これをふまえてね
私は自分のことを思いました

いろいろ事件が勃発して
激しくて、苦しい家ではあったけれども

それでも
私は、ここにいてもいいんだ、という
居場所だけはあったことに
本を読んでいて、気が付いたんですね

うちは
「母なるもの」 ではなかったですし
他にも、私を可愛がってくれた家族が
いましたからね

私は意向を聞いてもらえていたどころか
母が、こちらの要求を最優先してくれていたことに
ハッとしました

もういい! うるさい! と言っているのに
もっと食べなさい、って
ゴリ押しして来る位
食べさせられそうになってましたもの… 笑

あなたも思い出してみて下さい

頭では、忘れているだけかもしれません

けれども
体は正直な思いを、記憶しているものだから

ひょっとしたら、忘れているだけで

あなたも
親が居場所を
確保してくれていたかもしれませんよ?